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『新サッカー論』―サッカーとアートのカオスな関係―

サッカー本 0002

 

『新サッカー論』―サッカーとアートのカオスな関係―

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著 者 三倉克也

発行所 レーヴィック

2010年6月8日


 サッカーの本質」とは、サッカーに携わる者にとっては永遠の命題であるのではないか。考えれば考えるほど遠くに逃げてしまうような気がする。
第2回「サッカーの本質」について考える、今回のテキスト。僕が出合った一番難しいサッカー本である。とにかく書いてあることが難しい。サッカーの本質を追究している本の一冊である。


第1章 サッカー芸術論
第2章 サッカー認識論
第3章 サッカー表象文化論
第4章 サッカー教育論
 
読んでいて眠くなるサッカー本の一番に挙げられるのではないかと思う。
「サッカーは複雑系の事象であり、フラクタル性を帯びたカオスの即興的感性表現である」と著者は提唱している。読み進めると「複雑系の事象」も「フラクタル性」も「カオス」も「即興的感性表現」もしっかりと論理的に(僕の理解力では分かり易くなく)書かれている。
 
第1回で取り上げた羽中田さんの翻訳本『バルセロナが最強なのは必然である』でも書かれていたが、社会のイデオロギーや既存のサッカー論が線形機械論的解釈に偏っているということである。この本の著者も同質の見方をしていて、「本質論的アプローチを試みた結果、必然的に非線形有機論の助けを借りなければ説明できない」と書いている。
 
「はじめに」という始まりの文章があるけれど、そこからまずもって難しい。抜粋する。
 
サッカーは複雑系である。したがって、本書は複雑系サッカー論としての考察を行う。なぜなら、サッカーは複雑系を前提にしなければ語れない事象だからだ。~略~
本書ではサッカーをスポーツとしてではなく、「表現」として考察する。表現とは人間の内面性の表出に他ならない。したがって表現行為として芸術とサッカーを同列に置く。~略~
 
著者はサッカーを「複雑系」と捉え、同時にサッカーを「表現」として捉えている。そして「サッカーは複雑系の表現であり・・・」と文章が続く。
 
サッカーは複雑系の表現であり、だからこそサッカーはサッカーでは説明できない。その説明原理として存在論や認識論、身体論、空間論、形態論、観念論、心理学、美学、芸術学、構成学、社会科学、自然科学、人文科学、その他様々な人間総合科学的、学際的、超域的、境界的、横断的思考装置の援用が重要になってくる。そのような意味で本書は全体論を述べている。
 
僕自身、サッカーをする愉しみ、観る愉しみはもちろんだけれど、勉強する愉しみがあることを幸せに感じる。学生時代、もっと勉強をしていればよかったなと思う時がある。しかし勉強は生涯現役で出来る。サッカーが進化している以上、自分自身も今の自分よりさらに進化していかなければならない。
・・・と思っているのだけれど、この本は難解である。眠れない夜に、布団に入ってこの本を読めば、すぐに深い眠りに就けるのではないかと思う。